影法師と養殖場(SS)
 
「いい加減、お刺身が食べたいです」
 
 焼肉が食べたいという少年の心の叫びと時を同じくして、新参者の吏族が自分の部屋で、思い出したように呟いた。
 目の前には処理すべき書類と、発送しようかしまいか迷っている手紙と、今日の昼食。
 真っ白い炊き立てのご飯が毎日出てくるのは、まあいい。美味しいから。
 問題はそれ以外。オカズとして皿に並べられている色とりどりの野菜たち。茄子、牛蒡、蓮根、春菊、白菜、蕗、韮、小松菜。漢字で並べるとなんか別なものに見える野菜による山盛りサラダ。そして何より……。
 
「ネギ! ネギ! ネギ! 毎日ネギが食卓に並ぶのは虐めですか!? 新人いびりですか!? ぐれるぞチクショー!」
 
 ムキーと唸って書類を部屋中にぶちまける。
 そう、彼はネギ、長ネギと呼ばれるものが殺意を覚えるほどに嫌いであった。むしろ存在が許せないぐらい嫌いであった。全国のネギ好きさんたちすいません。でも嫌いなんです。
 ヒラヒラと舞い落ちてくる白い書類の紙吹雪を浴びながら、彼は机の上に鎮座している今日の昼食を眺める。前述の通りネギが、判らないほどにみじん切りされてサラダに紛れているのが確認できた。
 ……手が込みすぎである。これは間違いなくピンポイントに狙われていることが予測できた。どんだけ暇なんだオイ。
 だいたいが同時に受け取った藩王の昼食と比べて明らかにネギ多かったし、ネギ抜きって頼んだはずなのにネギ山盛りだし、昨日なんて朝食のパンにネギが練りこまれてる周到ぶりだったし……。
 
「もういい! 貴様たちの好きにはさせん! 俺は好きな物を食べるぞ藩王ーッ!」
 
 ちょちょ切れそうな涙を拭いながら咆哮を上げ、空中に散乱する書類をかき集めて部屋を飛び出す。とりあえずこの書類はたんばのさんに押し付けよう。食の問題は死活問題だから仕方ない。仕方ない。
 とりあえず目下の目標は魚。農業が活発すぎて陰に隠れているが、確か養殖場とかあったような……。
 

(画:ながみゆきと
 
 出発したのは12時ごろ。到着したのは11時頃。時計だけ見ればタイムスリップな移動を経て、ついに養殖場に辿り着く。直線距離では1km未満なのは内緒である。
 腹の虫が鳴った。思わず笑みがこぼれる。計算通り!
 
「マグロ……マグロが食べたい……ッ! あ、政庁から来ました。抜き打ちチェックです☆」
 
 それっぽい理由を適当な従業員に伝えてのしのしと、冷めたご飯の盛られた茶碗と醤油を手にして施設の中に突入して行く。
 なんか白い目で見られた気がするが気にはしない。俺は鉄火丼が食べたいのだ。
 
「あ、あの……抜き打ちチェックって何をチェッ――」
「鉄火丼」
「いやあの何を……」
「鉄火丼」
「えーと」
「鉄火丼」
「抜き打ちチェック、なんですよね?」
「鉄火丼」
 
 もはや成り立っていない会話に苦笑いを浮かべる従業員。たぶん偉い人。それに先導されながら奥にあるのだろう倉庫へと向かう。
 

(画:ながみゆきと
 
「マグロじゃねーじゃねーか!」
「いや奥にちゃんとマグロが。もう調理して持ってくるのでそこで待っててください……。ってか抜き打ちチェックは……」
 
 ぶつぶつと呟いて奥に消える従業員。おいていかれた彼は寒いのでもと来た道を戻り、待合室で調理してくるらしいものを待つ。途中様々な魚が天井から吊るされていた。案外この国の漁業は盛んだったことが判明した。ちょっと感動。
 よし、これからも定期的に抜き打ちチェックしよう。とか思いながらご飯をレンジで温めて準備は万端。カモンマグロ。
 
「お待たせしましたー」
 
 今か今かと待ち望んでいるところに、作業員が登場した。ここで遅い! と叫ぶほど人間をやめたわけではない。勝手にあふれてくる唾液を飲みこんで期待の視線を彼は向ける。
 飛び込んできたのはまず、健康的な赤色。身体を巡る血によって染められたとは思えない、毒々しさなど微塵もない、透き通るように美しい赤。
 そして。
 輪切りにされたネギ。
 
「ちょ、おま。何でネギ!?」
「いや、藩王様からの御指示でして……」
「横暴だぁぁぁ! 俺のマグロぉぉぉ!」
 
 ご飯茶碗と箸を構えながら天井へ向かって叫ぶ。
 新参吏族の地獄はまだまだ続きそうだった。